2004-11-25

インコ

どうでもいい話。

昔、僕がまだ小学生だった頃の話。
我が家にインコのつがいがやって来た。たしか母親の知り合いからわけてもらったのだと思う。それまで動物を飼ったことが無かったので、そこはやはり子供だけに嬉しくて餌だとかイカの甲(何故必要だったのか忘れた)だとか買ってきて、もちろん籠も調達して、飼うことにした。

もともと根が不精なだけにマメな飼育ができる訳もなく、すぐに母に叱られながら糞を片付けたりしするはめになった。それでも適当に買っていれば卵を産んだりする。初めて卵を産んだときは日に何回も、孵らないかと、いつ雛が生まれるんだろうと、覗きに行ったものだ。もちろん、それは母鳥の気が散るからやめた方が良い。実際、気が散ったたせいかどうか不明だが自分で卵を壊しちゃったこともある。しばらく我慢をしていると、雛が生まれる。これはかわいい。子供の浅知恵で、雛から育ててやればなついて手乗りになるんじゃないか?と思い、結構熱心に餌をやったりした。「ピピ」という何の芸もない名前を付けて、頑張って育てた。とはいえ、手探りで育てるのにも限界があり、適当にそれらしい本を図書館で借りたり、書店で立ち読みしたりして、手乗り化計画を進めていった。

ところが、手乗りにするには羽を切る必要がある、とある本に書いてあった。図解で書いてあるのだが、子供ながらに「こんなところ切れるかいっ!」と怒りそうになった。だって、羽の先っぽだったら切れるけど、明からにもっと根元で切るんだもん。そこ骨っつうか筋っつうかそういうのあるじゃん。痛そうじゃん。そんな訳で結局、羽の先っぽを整える程度には切った。気休めで。それが限界だった。

それでも育てた甲斐があり、それなりになついてきた。肩や手に乗る姿はとても素晴らしいものだった。他にも数羽いたのだが、この「ピピ」が一番なついた。羽は切ってないので、やはり飛ぶ。我が家は昔ながの農家の造りで、それなりに広い。部屋によっては天井が吹き抜けになていって結構な空間が広がっている。そこを、縦横無尽に、とまではいかないがそれなりに飛び回る。梁の上からなかなか降りてこなくて困ったりした。何をどう思ったのか、屋外で籠から出したこともあったが、やはり飛んでいった。隣の家、とはいえ間に田圃がニ反くらいある隣だが、その辺まで飛んでいった。これはミスったか?と思ったが、何故か帰ってきた。なついていたせいなのか、単なる偶然かはわからない。それ以来、外で籠から出すのは止めるようにした。

そんなこんなで、適当にインコの居る生活が続いたのだが、ある日、突然に「ピピ」が消えた。ちょうど家の中で放していたのだが、たまたま人の出入りがすごく多く、目をちょっと離している隙に見えなくなった。玄関も空いていたし、飛んでいったのだろう。さすがに落胆して、日暮れまであちこち探し回ったのだが、結局見つからなかった。無事に生きていけるだろうかと心配したものの、我が家は北陸地方にあり冬になれば雪が降る。無理だろうなあと、ちょっと悲しかった。おそらくこの年の一番悲しかった出来事だ。

「ピピ」は居なくなったものの、インコは放ってほくとどんどん卵を産んで増えていく。最盛期には、我が家には10羽くらいのインコがいた。籠を3つか4つくらいにわけて飼っていた。

ある日、天気の良い日に庭に籠を出し日光浴をさせていた。日曜日だったのだろうと思う。父が車を入れようとしてバックで、ものの見事に籠を轢いた。幸いにもインコは無事だったが、籠は大破した。もちろんインコは飛んでいった。無事な籠もあったが、結局2羽だけが残った。この2羽が最後はどうして居なくなったのかよく覚えていない。死んだのか逃げたのか。いずれにしろ、2年程度だったろうと思う。インコを飼っていたのは。

ある冬も近い日、もうインコが居なくなってからのことだが、天気も良い日で母と近くを歩いた。すると、木々の中からやけにカラフルな鳥が飛び立ったが見えた。間違いなくインコだった。それも1羽ではなく群れだった。一瞬、あれはうちの・・と思ったのだが、どうなのか確かめられるわけもなく、ただ眺めていた。きっと野生化して生きているんだ、とちょっと心が癒えた。母も「野生化しているんだねえ」とちょっと驚いていた。雪が降ってもちゃんと冬を越せるのかどうかは、未だにわからないが。

天気の良い小春日和のなか歩いていると、あの群れを見たのも確かこんな日だったなと思い出しました。

東京ではかなりの数が野生化しているらしく、数百羽の群れを見ることもできるそうだ。

Posted by akio at 2004年11月25日 14:39 | 余話・雑感
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