2004-06-21

うちの爺さん

ものすごく私的な話。

先日、祖父の葬儀がありました。

昨年の秋から入院生活を送っていたとはいえ、ちょっと回復気味と聞いていたので急な話だった。
農業一筋、ちょっと偏屈な性格で、とりあえず米と醤油味のおかずさえあれば満足。僕たちがパンだとか洋風なものを食べるといつも顔をしかめていたりしていたものだ。

冬になれば、一日中炬燵に入って墨を擦り、何やら字を書いていたのが印象に残っている。
何を書いていたのかはちょっと思い出せない。写経だったのかもしれない。漢字ばかりだったことだけは覚えている。

たしか僕が中学くらいの時だと思うが、何を思ったのか家の周りに石垣を積み出したことがある。
田圃の中に立っている昔ながらの農家なので、石垣があってもいいのだけど、何も自分で積むことはないじゃないかと父や弟と笑ったものだ。土木屋にでも任せればいいのに、雨の日でも合羽を着て、びしょびしょになって、石を運んではトンカントンカンと石を打ったりしていた。
石垣は3〜4年くらいかけて完成させた。もちろん現在でも健在だ。

酒も飲まず、遊ぶことを全然知らない祖父で、出かけると言えば町内の寄り合いくらいだった。
好きなものといえば相撲を見るのが大好きで、場所中は早めに仕事を切り上げテレビに見入っていた。場所の間はテレビを占領されるので、子供のころは弟と二人で文句ばかり言っていた気がする。

僕は初孫に当たるのだけれど、従兄弟が多く一番下はまだ小学生だ。
晩年はそんな孫達の成長を見るのが、趣味といえば趣味だったのかもしれない。

5年前くらい前だろうか。実家に帰ったときに、祖父がすごく小さく見えて驚いた記憶がある。
本当に萎んでしまったように、一回り小さくなった。
その後段々頭もぼけてきて、食事も思うように出来なくなり、ここ2年程は介護が必要だった。

昨年の秋に風邪をこじらせて、肺炎になって入院をした。
見舞いに行ったときは、これがあの祖父かと思うほど衰えきっていた。
意識はあるらしく、僕が来たことはわかったらしい。ただ、何を喋っているのかは聞き取れなかった。

その後、病院を幾つか移り、家の近くの病院で先週亡くなった。
死因はやはり肺炎だったらしい。
昔から煙草が好きで、肺は真っ黒でボロボロだったそうだ。

通夜には間に合わず、葬儀にだけ僕は出た。
慌ただしかったこともあり、なかなか実感が湧かなかった。
焼かれる間際にやっと祖父の顔を見ることができた。
何だか不思議な感じだったが、静かな顔で横たわっている祖父を見て急に涙が出てきた。

2時間くらい後、骨を拾った。
骨壺は僕が家まで抱いて帰ってきた。
重いのか軽いのか、よくわからなかった。
本当にもう会えないのだなと思うと、またちょっと目頭が熱くなった。

Posted by akio at 2004年06月21日 15:40 |
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